2013年7月23日火曜日

「皆が同じ格好するんだよ」と某広告代理店の友人は言った。




 昨日某広告代理店に勤めている友人とお酒を飲んでいたのだけれど、友人曰くあまり好きになれない社内の雰囲気の一つに「若手〜中堅の男性社員が没個性」だということがあるとのことだった。

どういうことなのか聞いてみると、例えば「ワイシャツは○○のやつじゃないと体にフィットしなくてさ〜」とか「時計はやっぱパネライでしょ」といった、「こうしてる奴が一番イケてる」みたいなものに群がる一定数の同年代層が非常に多いから、ということだった。

中学の頃にキャシー世代だと、ナイキのエアマックスをこぞって買いに走ったりたまごっちなんかで皆遊んでたものですが、友人曰く「30前後になっても未だにそういうのをやってるのがキモい」ということだった。

まぁ広告代理店はある種そうやって見た目を着飾って、でも裏ではめちゃくちゃ大変な業務をこなすというところに美徳を感じる業界でもあるからいいんじゃないかね・・と思ったのですが、キャシーとしても30前後になって未だにそういうのを個人の楽しみではなく、周囲に同化するために無理やり合わせているような人がこの時代にまだいるのだな・・というところになんとなく古めかしいものを感じてしまった。


そんな時に数日前にこんなエントリがあったのを思い出したのですが、

俺たちが歩む道


まぁなにかというと田舎に住んでいる友人たちと再開したら彼らは閉鎖的な社会の中で幸せそうに生きていていいなぁ・・・遠くエリート街道を進んでしまった俺にはもはやそこに戻ることはできない・・でも彼らは彼らで幸せであるし、俺には俺の幸せがあるのだ・・。

という、まぁ、キャシー的にはこの人が「ふぅ、俺もここまで来ちまったか・・」と自己陶酔に浸りだけなんじゃないのという感想でしたが。


このエントリは地方のDQNのことを言っていたわけですが、はっきり言って「同じ世界で共通の価値観で生きている集団」という括りではこのエントリのDQN集団も、友人の広告代理店にいる集団も変わらんなーと思いまして。


高学歴で一流企業勤めてても、日々接するのはその高学歴で一流企業に来た人間ばかりなわけなので、「高学歴で一流企業勤めてる人なりの価値観」で形成された集団で生きているわけですな。

そこが友人の広告代理店集団の場合は、「○○でYシャツを買って」「パネライの時計を買う」という行為に、彼らの価値観が物として現れているだけで、これってDQNが「こないだ芸能人見た」とか言ってお互いに自慢しあうのとあまり変わらない気がするのですね。


例えば外資系の投資銀行になるとコレが「どこそこのタワーマンションでパーティやった」とか「クルーザー買った」とかになるのかもしれないですし(もちろん大多数の人はマトモな感覚の他人に左右されない普通にちゃんとした人達なんでしょうが)。


最近そういうなんていうか「人の価値観の循環」みたいなものを考えることがあってですね。


一流の大学生は一流企業サラリーマンに憧れる。

一流企業サラリーマンはマッキンゼーや投資銀行のような超一流サラリーマンに憧れる。

超一流サラリーマンは成功した起業家に憧れる。

成功した起業家は幸せな家庭を持っている人に憧れる。

幸せな家庭を持っている人は・・何に憧れるんでしょうかね。


まぁこれってすっごい単純にしてあくまでキャシーの周囲の人々の印象でしかないんですけどね。

結局幸せな家庭持ってるやつが一番えーんじゃねーの。という綺麗なオチがついてしまいました。あくまでも一般論としてね。


まぁ何が言いたいかっていうと、エリートでも天才学者でも公務員でもDQNでも、収入とか社会的地位をモノサシにして考えたら、皆同じような生態系を形成してるだけなんじゃないの、ということで。

だから迷惑をかけない程度に自分が思うがままに、良いと思ったままに行動した方が最終的には得だよね、ということでした。


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